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安曇野歴史のあけぼの [歴史・伝説]

安曇野の歴史が年代別に整理されてくるのは6世紀に入ってからで、”安曇歴史年表”によると500年頃全国的に「県主(あがたぬし)」・「国造(くにのみやっこ)」などが定められはじめ、570年頃安曇氏が科野の国(信濃の国)に移住し、烏川・高瀬川・犀川沿いを開拓することから始まっている。
当時、大和政権は越(越後)の服従しない人々を支配下に収めようと、越と隣接する安曇野に安曇氏の一団を遣わしたのであろうと言われている。その後大化の改新(645年)が始まり、天武12年(684年)頃、安曇郡が定め置かれ、高家(たきべ)・谷原(矢原)・前科(さきしな)・村上の四郷ができたとされている。そして和調5年(712年)に「科野国」を「信濃国」と改められている。
その頃の古代長野県の郡名は下図のようになっていて、県歌「信濃の国」の”信野の国は十州に境連なる国にして”で始まるように十郡であった(その当時、木曽は美濃の領域であった)。
このように形ができてきた安曇野は朝廷との結びつきが強く安曇氏と同じく仁科氏も同様である。そして安曇野の歴史を考える時、安曇氏と仁科氏を抜きにすることはできない。

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