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仁科氏と神社(若一王子神社) [神社・仏閣]

若一王子神社(にゃくいちおうじ神社)は北アルプス山麓に広がる大町市に鎮座しており、垂仁天皇の御代にこの地の守りとなった仁品王がイザナミノミコトを奉祀したことに始まり、後にこの地を治めた仁科氏によって、祖先神である仁品王とその后妹耶姫が合祀され、嘉祥2年(849年)に創建されたと伝えられいます。鎌倉時代初期、仁科盛遠が熊野権現(熊野那智大社)の第五殿に祀る「若一王子」を勘請してより、御社名が定まったといわれます。
「御本殿」
戦国末期の弘治2年(1556年)に仁科盛康によって造営され、江戸初期の承応3年(1654年)に社殿の大修理がなされ現在に至っています。
「観音堂」
宝永3年(1706年)に建立され、御正体の十一面観音を本尊とし、仁科三十三番札所巡りの第一番札所になっています。
「三重塔」
宝永8年(1711年)に木食山居の勧進により建立され、三間三層の柿葺で、人身獣面の十二支の彫刻が施され江戸時代の建物としては本格的な建築で、塔の内部には五智如来坐像が安置されていて”長野県宝”に指定されています。
「例祭」・・・7月17日
・7月第4週:流鏑馬神事(長野県無形民俗文化財)

*場所:「霊松寺」案内にて参照
*写真案内:2010年5月3日撮影
 ・鳥居より見た本殿
 ・三重塔

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仁科氏と寺(霊松寺) [神社・仏閣]

霊松寺は応永11年(1404年)に仁科盛忠が盛遠の菩提を弔うために建立した。開山は我山の五哲と呼ばれる能登の名僧・実峰良秀禅師に拝請した信濃の国、最古の曹洞宗寺院です。
本堂は明治16年に再建、庫裡は嘉永年間の再建、山門は明治元年神仏分離令に基づく廃仏毀釈により松川村観勝院が廃院となった時の山門を明治11年に移築し現在は”長野県宝”になっている。本堂の本尊は釈迦三尊、表側天井に墨で書かれた巨大な龍は「鳴龍」と呼ばれ龍の下で手を叩くと龍が鳴いているような感じを受ける。庫裡は大きな梁とたたき土間、雄大な木造建築の空間になっている。山門は入母屋造り桜門形式の総ケヤキ造りになっており諏訪の棟梁・藤森広八の作で和様の重厚な造りになっています。
*場所:案内図参照
*写真案内・・・2010年5月4日撮影
 ・本堂・・・しだれ桜越しに見る本堂
 ・山門・・・わら葺の入母屋造りの山門

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満願寺 [神社・仏閣]

「信濃高野」とよばれる真言宗の寺で、信濃33番札所(第26番)にも入り、江戸時代に安曇・筑摩領民の総菩提所とされたところ。人里離れた深山にあり、山道の参道といい、寺といい趣きのある寺です。最近は寺へ登る途中に”つつじ園”があり、つつじの季節には人々でにぎわいをみせる。
*名称:真言宗・豊山派・栗尾山満願寺
*本尊:千手観世音菩薩
*場所:安曇野市穂高牧
http://manganji.hp.infoseek.co.jp/index.html

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松尾寺 [神社・仏閣]

鎌倉時代~室町時代にかけて北安曇から南安曇の一部を治めていた仁科氏によって1528年に建立されたと伝えられています。1870年廃仏毀釈によって廃寺となるが、再興し昭和43年に国の重要文化財に指定される。
現存する薬師寺(本堂)は仁科氏文化の特徴を反映し、船肘木の形式も美しく、縁まわりにたつ支柱が縁柱を兼用し面も大きくとり室町時代の特徴をよく発揮、信州における貴重な建造物である。
*正式名:医王山常楽院松尾寺
*宗派:高野山真言宗
*本尊:薬師如来 
*場所:安曇野市穂高有明
     近くに「鐘の鳴る丘集会所」・・・NHKで昭和22年に放送された建物あり

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有明山神社 [神社・仏閣]

有明山の本宮(里宮)神社で有明山を信仰崇拝する山岳信仰の神社です。奥社は山頂にあり、ここ里宮は明治21年に岡村阜一氏によって創設されました。
祭神は天手力雄命(アメノタジカラオノミコト)ら三神。見所は日光の陽明門を似せて作った楼門と本殿の左手にある神楽殿の天井画があります。楼門の上部にある十二支の豪華な木彫りは素晴しいと思います。
*4月28日:例大祭

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国宝・仁科神明宮 [神社・仏閣]

仁科神明宮は大町市の東方、大峯山から宮本地域に流れ出る神明沢の麓、池田町との境に位置しています。ここは平安時代から戦国時代の天正10年(1582年)に滅亡するまで500年以上にわたって、現在の大町市・北安曇郡・旧南安曇郡の北半を統治していた仁科豪族により建立されたといわれている。
仁科神明宮は平安時代後期に伊勢神宮の内宮領となった仁科御厨の鎮護の社として伊勢から勧請された神社で、天照大神を祀っています。
現在、国宝に指定されている社殿(本殿・御門屋・釣屋)は江戸時代初期の永和2年(1376年)に造営された社殿と考えらる。それまで20年ごとの仁科氏願主による式年造営には全部建て替えられていたが、松本藩になってからは部分修理となったため、社殿の主要部分は当時のものが遺ることとなった。社殿はもちろん伊勢内宮に倣った神明造りです。

神明宮の創建:平安時代後期
国宝の構造:神明造り社殿(本殿・御門屋・釣屋)
        切妻檜皮葺屋根・・檜を1cmくらいの薄さにした板材を均等無数に敷き並べる。
祭神:天照大神
神事:例年春祭りの3月15日に古式作始めの神事、秋祭りの9月15日に神楽が奉納される。

*交通:県道大町明科線を進み池田町の境を過ぎると仁科神明宮の看板があります。
     (周辺に何もない長閑な道なので、看板を見落とさないように注意)
*料金・駐車場:入場料無料、参拝客用の駐車場あります。

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*参考資料:安曇野大紀行より
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穂高神社と御船祭り [神社・仏閣]

穂高神社
「安曇野の心のふる里である穂高神社」
この神社の祭神は、中央本殿に安曇族の祖先神・穂高見命を、左殿にはその父神・綿津見命を、右殿には皇孫・ニニキノミコトを祀っている。三つに連なる三本殿は何れも流造の変形で穂高造りといわれている。中央本殿の千木(ちぎ)と鰹魚木(かつおぎ)は他社に類を見ない特色あるものであり、平安時代延喜式神名帳に「名神大」と記載されている昔からの全国的な大社である。
古代北九州に定住し、その航海術で大陸と交渉のあった安曇族は、瀬戸内海・或いは日本海沿いに北上し、その一部がこの安曇野に定住し古代の安曇野(高家・八原・前科・村上)をつくっているが、その祖先神は穂高見命とされている。
上高地の明神池畔の奥社の造宮の初見は明治七年(1770年)であり、奥穂高岳頂上にも嶺宮がある。奥社は近年登山者の神として参拝が絶えないし、里社は交通の守神として有名で正月には祈願の自動車が神苑一杯になる。

穂高神社の大祭
 *お奉射(びしゃ):歩射・・・3月17日
 *例祭:御船祭り・・・9月27日
 *御遷座祭・・・20年目に一度の正遷宮祭と、7年(6年目)に一度の御破損(小遷宮祭)
 *奥宮例祭・・・10月8日
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御船祭り
御船祭り(御船神事例大祭)は毎年9月27日で、舟形の山車に穂高人形を飾った大小5艘のお船が笛や太鼓の囃子にのり、氏子衆によって神社へと曳きいられます。勢揃いした御船のきらびやかな様子は、歴史絵巻を見るかの様です。境内を練り、神社を曳き廻るうちには、お船が激しくぶつかりあい、壮大な迫力です。
御船祭りのお船は、子供船と大人船とがあり、なるの新木を用いて毎年組み立てられます。男腹(おばら)・女腹(めばら)には着物が何十枚も掛けられた船上には毎年異なった穂高人形が飾れます。着物の持ち主は一年間健康で過ごせると言う信仰も息づいています。
お船の起源は穂高神社の祭神が安曇族の祖神(おやがみ)である海神を、お祀りし古代北九州に本拠があった安曇族は海洋に親しみ海運を司っていたこと、大将軍安曇比羅夫の船師を率いての百済教援、また氏族の朝廷での活躍などで、平安時代の標山室町時代の山車等に原形を見ることができます。
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*参考資料:穂高神社HP、信州穂高 より
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