倉平道祖神の御柱と三九郎 [道祖神]
以前に”道祖神の祭りと祈願”で御柱と三九郎の内容を紹介していますが、今回は安曇野市穂高柏原の倉平地区で行われている道祖神祭りを限定して、写真を交えて詳細内容をご紹介します。
倉平の道祖神祭りは、1月中旬(小正月)頃に行われますがその年の曜日により日時が決まり
平成27年は1月11日~1月17日に行われました。”御柱と三九郎”の意味は参考資料を参照
1月11日・・・午前10時~12時頃
*御柱:組立・飾り付け・道祖神前に取り付け・行事
*三九郎:数日前から正月の飾りつけを集めワラで組んでヤグラに取り付けた準備
1月17日・・・午後4時~6時頃
*御柱:取り外し・飾り付けは三九郎へ
*三九郎:道祖神前の灯籠より火を受け三九郎に点火し火祭りを行う
<参考資料:安曇野道祖神(創林社)より>
*御柱
・道祖神の前に御柱を立て豊年招福を祈る行事で、毎年1月中旬頃、梓川地域・三郷地域・
堀金地域・豊科地域・穂高地域の一部に今も伝承されているもので、大きな柱に棒と縄と
色紙などを使って女性のシンボルを形どり、柱の頂上には日月・末広・御弊・布袋・布着・
竹・松などを付け、柱の中間には祈りの主たるもの、米俵・新婚の家庭に贈る弊束・末広で
作った的「天下泰平」「家内安全」と書いた紙などを掲げ子孫繁栄・五穀豊穣を祈る行事。
尚、女性を形作るのは、おそらく子孫繁栄の神サエノカミが「子供を産ませる霊力」の神
として「父の神」に対して「母なる神」を奉る思想からではないかと云われている。
*三九郎
・小正月の火祭り行事を松本地域・安曇野地域に限って「三九郎」と呼んで、一般的には
「どんど焼き」「左義長」などで知られ、”松納め”のあとの松飾りやダルマなどをワラで組んだ
ヤグラに取り付け燃やし、その年人々にふりかかる災厄を焼き払う民俗行事です。
三九郎の呼び名は昔の凶作飢餓・疫病・納税の三苦労からのもので、こうした三つの苦労
を左義長の火で焼き払おうと、いつしか「三九郎、三九郎」とはやす歌を唱えるようになり
今日の「三九郎」になったと伝えられている。
*倉平の道祖神:向かって左側・酒器像(1855年:安政2年)、右側・握手像(1858年:安政5年)
(1月11日) 型式:飾り文字円形、表情・形も素敵で人々に大切にされ、好きな道祖神です
*三九郎の組立・飾り付けを子供達を交えて行っているところ・・・雪がちらつき始める
*三九郎の組立・飾り付け終わり準備OKです
*御柱を組立・飾り付けの作業中・・・奥に御柱を取り付ける道祖神があります
*柱の中間に福俵(前年の新築・出産・新婚家庭等を祝い奉納される)の組み込み
*御柱を道祖神まで移動
*御柱の立て込み組立作業
*御柱取り付けが終わったあとの道祖神の様子
*1月17日、御柱を道祖神前から取り外す作業・・・前日からの雪が積もっていて寒い日です
*取り外した御柱を運搬
*御柱の分解・飾り付け取り外し・・・飾り付けた竹・色紙等は三九郎に取り付け
*子供代表が道祖神の灯籠内から種火を受ける様子
*三九郎に点火する行事
*三九郎が燃える様子と子供たちが木枝の先に付けた”まゆ玉”をもっている様子
*燃える火に”まゆ玉”をあぶっている様子・・・それを食べます
*一連の行事が終わり灯籠の灯りが映え、静けさを取り戻した道祖神
倉平の道祖神祭りは、1月中旬(小正月)頃に行われますがその年の曜日により日時が決まり
平成27年は1月11日~1月17日に行われました。”御柱と三九郎”の意味は参考資料を参照
1月11日・・・午前10時~12時頃
*御柱:組立・飾り付け・道祖神前に取り付け・行事
*三九郎:数日前から正月の飾りつけを集めワラで組んでヤグラに取り付けた準備
1月17日・・・午後4時~6時頃
*御柱:取り外し・飾り付けは三九郎へ
*三九郎:道祖神前の灯籠より火を受け三九郎に点火し火祭りを行う
<参考資料:安曇野道祖神(創林社)より>
*御柱
・道祖神の前に御柱を立て豊年招福を祈る行事で、毎年1月中旬頃、梓川地域・三郷地域・
堀金地域・豊科地域・穂高地域の一部に今も伝承されているもので、大きな柱に棒と縄と
色紙などを使って女性のシンボルを形どり、柱の頂上には日月・末広・御弊・布袋・布着・
竹・松などを付け、柱の中間には祈りの主たるもの、米俵・新婚の家庭に贈る弊束・末広で
作った的「天下泰平」「家内安全」と書いた紙などを掲げ子孫繁栄・五穀豊穣を祈る行事。
尚、女性を形作るのは、おそらく子孫繁栄の神サエノカミが「子供を産ませる霊力」の神
として「父の神」に対して「母なる神」を奉る思想からではないかと云われている。
*三九郎
・小正月の火祭り行事を松本地域・安曇野地域に限って「三九郎」と呼んで、一般的には
「どんど焼き」「左義長」などで知られ、”松納め”のあとの松飾りやダルマなどをワラで組んだ
ヤグラに取り付け燃やし、その年人々にふりかかる災厄を焼き払う民俗行事です。
三九郎の呼び名は昔の凶作飢餓・疫病・納税の三苦労からのもので、こうした三つの苦労
を左義長の火で焼き払おうと、いつしか「三九郎、三九郎」とはやす歌を唱えるようになり
今日の「三九郎」になったと伝えられている。
*倉平の道祖神:向かって左側・酒器像(1855年:安政2年)、右側・握手像(1858年:安政5年)
(1月11日) 型式:飾り文字円形、表情・形も素敵で人々に大切にされ、好きな道祖神です
*三九郎の組立・飾り付けを子供達を交えて行っているところ・・・雪がちらつき始める
*三九郎の組立・飾り付け終わり準備OKです
*御柱を組立・飾り付けの作業中・・・奥に御柱を取り付ける道祖神があります
*柱の中間に福俵(前年の新築・出産・新婚家庭等を祝い奉納される)の組み込み
*御柱を道祖神まで移動
*御柱の立て込み組立作業
*御柱取り付けが終わったあとの道祖神の様子
*1月17日、御柱を道祖神前から取り外す作業・・・前日からの雪が積もっていて寒い日です
*取り外した御柱を運搬
*御柱の分解・飾り付け取り外し・・・飾り付けた竹・色紙等は三九郎に取り付け
*子供代表が道祖神の灯籠内から種火を受ける様子
*三九郎に点火する行事
*三九郎が燃える様子と子供たちが木枝の先に付けた”まゆ玉”をもっている様子
*燃える火に”まゆ玉”をあぶっている様子・・・それを食べます
*一連の行事が終わり灯籠の灯りが映え、静けさを取り戻した道祖神
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