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嫁入り道祖神 [道祖神]

道祖神の裏側に「帯代金何両」と刻まれた道祖神を多く見かけます。”南安曇郡誌第二巻下”で
「これはある時代に青年が道祖神を盗んだことあり、これを道祖神の嫁入りと言った。そこで嫁をもらったなら、帯代を払っていくようにと彫り付けたものだと伝承されている」と書いてある。
このように「帯代」と「道祖神の嫁入り」の風習は古くからあったようで、頻繁に行われるようになったのは文政・天保から明治初年へかけてのように推察される。
何か福を招いた事のある他の村の道祖神を自分の村に招来して、こちらでもご利益を得ようと帯代を払って持ってきてしまうということのようで「昔は村の境を誰にも気付かれずに越せば自分達のものになる」という不文律もあったとか・・・
何事も双方で円満に話がまとまれば問題ないが、中には喧嘩が双方で話し合いが付かず表沙汰になり松本藩まであがり、役人の仲介により”罪人を出さずに話し合いで仲直り示談させた”と話もある。
成立したら内済証文というものを双方連印で出させ、円満に治めさせている、その大庄屋にのこった嘉永3年8月の内済証文には
1.けがをさせたことについては深く詫び仲直りする。
2.今回のことは「神信心」が高じてやった事だから双方から罪人を出さない。
3.神さまの無い上手村へは来年(嘉永4年)建ててやるが、もともと同じ村の中のことだから、それ以降も兄弟のように仲良く祭りなども一緒にやるように。
ということで一件落着となっている。
こうした「道祖神の嫁入り」の例は枚挙にいとまがない有様で、頻繁に行われたといわれる。
このように安曇の祖先たちは血と汗を流して開発した生活の根拠地を種々の災厄から守り、村落共同体の繁栄を願う一心から次々とこの石の神を立て祈り、そして祭り伝承してきたのである。

*参考資料:信州穂高、安曇野道祖神(創林社)より
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