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道祖神数と形式 [道祖神]

道祖神の造立年代と数
松本盆地(松本平・安曇平)には山間の村も含めて、およそ2000基ほどの道祖神が祀られています。安曇野に限ってみても680基ほどになります。
その造立は元禄年間(1688年~1704年)以降からのものですが、諏訪地方で享保から寛政(1716~1801年)年間の造立数がピークであるのに対して、松本地方では宝暦から天保(1751~1801年)の頃にピークになり、安曇野では寛政から天保(1789~1844年)に集中して安政年間(1854~1860年)に至る比較的新しい造立傾向が見られる。
南安曇郡(安曇野市(明科地域は除く)と松本市の一部(梓川・奈川・安曇))に存在する道祖神碑は大町市以南の北安曇郡(大町市・池田町・松川村)の平野部に存在する約200基に対してほぼ2.5倍の分布数となっている。
造立の盛んであった江戸時代の年間平均造立数を、在銘碑について試算してみると、
諏訪地方:0.63基/年・・・宝暦~天保(1751~1844年)
松本市(旧):1.35基/年・・・明和~慶応(1764~1868年)
北安曇郡:1.74基/年・・・寛政~慶応(1789~1868年)
南安曇郡:3.14基/年・・・寛政~慶応(1789~1868年)
であって、南安曇郡は他の地域を寄せ付けない造立頻度であることがわかり、安曇野が「道祖神の宝庫」「石仏のふるさと」と呼ばれる理由を探す手掛りの一つです。

道祖神数と形式
安曇野の道祖神は男神女神が揃う双体像と文字碑に大きく区分されるが、双体像には主に二様の姿に分けられ、はっきりとした特徴をもっていてその内容は次のようになります。
握手像:男神女神が仲よく肩を組みあって並び前で手を握りあっている。
酒器像:男神が盃、女神が瓢か提子を持ち夫婦固めの酒宴をあらわした姿。
*道祖神の数と内容を安曇野市の例で説明すると下表になります。
Douso-04.jpg

これらの双体像の中でも、衣冠束帯・十二単に威儀を正した南安曇の典型的な姿の神々があり「南安曇型」として次のように分けられます。
「飾り文字型」:像の周りに銘文を達筆な行書・楷書体で記している道祖神。
「細萱型」:線彫り唐破風の神殿に菊花・菊葉をあしらい、握手している女神の右親指に特徴がある。
「山崎型」:線彫り唐破風に”道祖神”の額を掲げ、唐草のからんだ神殿にたつ男神の左手の指が行儀よく揃っているのが特徴。
いずれも、その端正な容貌や高雅な装いは他の地域には見られない典型となっていて、安曇野の道祖神として見る人を魅了せずにはおかない、全国に誇りえる石造文化財です。
また穂高地域には”彩色した道祖神”をよく見かけます(子供達の手で祭りの日に彩色されていたようである)が、彩色の理由は定かでないが穂高神社の還宮祭(御船祭り)に飾られる人形や曳き出される「船」の人形飾りに影響されているようです。
Douso-05.jpg
Douso-06.jpg
*参考資料:安曇野道祖神祭り実行委員会の講習会、信州穂高・・・石田益雄氏より

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