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道祖神の祭りと祈願 [道祖神]

*安曇野道祖神の祭り内容を数例ご案内します。
「三九郎」
小正月の火祭り行事を松本地域、安曇地域にかぎって「三九郎」と呼んでいる。これは全国的には「左義長」「どんど焼き」などで知られ、”松納め”のあと松飾りやダルマなどをワラで組んだヤグラに取り付け燃やし、その年人々にふりかかる災厄を焼き払おうという民俗行事である。
「三九郎」の呼び名は、古老の伝えによると昔の凶作飢餓・疫病・納税の三苦労からのもので、安曇平では享保・天明・天保時代の大凶作・洪水の被害と納税苦と幕末から明治にかけてコレラなどの疫病流行に苦しみ、こうした三つの苦労を左義長の火で焼き払おうと、いつしか「三九郎、三九郎」とはやす歌の初に唱えるようになり今日の「三九郎」になったと伝えられている。
「御柱」
道祖神の祭りに「御柱」を立て豊年招福を祈る行事があり、毎年一月中旬ごろ、梓川地域・三郷地域・堀金地域・豊科地域・穂高地域の一部に今も伝承されているもので、大きな柱に棒と縄と色紙などを使って女性のシンボルを形どり、柱の頂上には日月・末広・御幣・布袋・布着・竹・松などをつけ、柱の中間には祈りの主たるもの、米俵・新婚の家庭へ贈る幣束・末広で作った的「天下泰平」「家内安全」と書いた紙などをかかげ、つまり子孫繁栄・五穀豊穣の祈りからの行事である。
大きな柱に女性のシンボルを形作るのは、おそらく子孫繁栄の神サエノカミが「子供を生ませる霊力」の神としての「父の神」に対して「母なる神」を奉る思想からではないかと云われている。
「彩色道祖神」
穂高地域・豊科南穂高地域などで、春先に子供たちの手で道祖神の神像に彩色する風習がある。これはおそらく男女の神様に化粧をしてさしあげることにより自分たちが美男美女に育ち良縁がえられるという素朴な祈願からの発想であろう。この起こりは定かでないが、穂高神社の還宮祭(御船祭り)に飾られる人形や曳き出される船の人形飾りに影響されているようで、早春の安曇野の風物として今もなお子供たちが集まって無心に、この神様と親しんでいる姿は微笑ましい。
「穂高地域・道祖神祭りの時期」
1月中旬:柏原倉平・塚原中部の御柱
2月中旬:矢原・本郷道下・孤島下木戸
3月中旬:孤島中木戸・等々力北部
4月中旬:常盤町
5月中旬:古厩原木戸
8月中旬:牧・宮城・館宮神社
9月中旬:矢村・小岩岳・古厩新和
*人々が道祖神に集まって、お供え物・食べ物を持ち寄ってお祈りと会食をして祝う。

Douso-08.jpg
*三九郎
Douso-09.jpg
*御柱と彩色道祖神
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*道祖神祭りの例

*参考資料:安曇野道祖神(創林社)より
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